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スラムの中の学校 ニュートピア
12月31日 スラムの子供たち
蚊にうなされた夜から開放され、朝を迎えた。酔っていたとはいえ、無精せずに蚊取り線香を炊くんだったと後悔しながら、まだ眠り足りない目をこすると違和感がある。目が開かない。何事かと思って鏡を見れば、右目が腫れてお岩さん状態。ガスパールが見るなり叫ぶ。「いったい、何があったんだよ、その目!!」症状は物貰い。小学生のとき以来だ。プールの日、何人かが物貰いのために見学していたことを思い出す。話は変わるが、親知らずがまた生え始めた。少し痛む。オレの親知らずはストレスやプレッシャーがあると決まって生え始める。

さて、チケットが取れたらの話だが、5日にナイロビを発って帰国の途に着こうと思う。新しく始まる仕事が気になるのが一番の理由。またカマウさんがビザの更新のため、5日から10日前後までこの家を離れるのも理由の一つだ。ならばスラムを離れモンバサやビクトリア湖といった観光地に行こうかとも考えたのだが、そこに特段の魅力を感じない。それよりは帰国してケニアのWEBサイト作りに着手したい。

ところで今日は大晦日。まったくらしくない大晦日だ。感慨深くもない。一年が終わるんだなぁ。残り少なくなってはいるが、今後の予定をある程度決めた。明日はカマウさんに連れられ、ゴングヒルで初日の出を見た後、レイク・マヤディに行く。レイク・マヤディには温泉があるという。2日3日はニュートピアに通う生徒の家庭訪問、そしてこの2日間集中して校庭に展望台兼滑り台を製作する。後述する理由に加え、このスラム学校に何らかの自分の作品を残したい。その思いから製作することに決めた。4日はフラミンゴで有名なナクル湖へカマウさんの案内で行けそうだ。カマウさんは以前、サバンナクラブの会員でもあったサファリ通の人だから期待できる。そして5日には土産を買って帰国。予定しているチケットが取れなければ、また考えよう。

スラムに唯一のブランコはいつも子供達の人気の的!
スラムに唯一のブランコはいつも子供達の人気の的!

学校の中には手作りのブランコが3つほどある。学校の門を開ければ、スラムの子供たちが、このブランコ目当てにたくさんやってくる。3歳程度の子から14歳くらいの子まで、今日も一気に20人ほど集まって大騒ぎだ。みんなゲラゲラ笑いながら、時にけんかしながら、大喜びで元気いっぱいに遊ぶ。スラムの中には公園がない。ゲームもテレビも本もない子供たちにとって、学校のブランコは唯一といってもいい娯楽なのだ。「大人たちは子供のためにこういった遊具を作ってやろうという発想ないんだよ。」とカマウさんは話す。日本にはどんなに貧しい時代にも、こういった遊具は子供たちに与えられた。だがケニアの人たちに「子供のために何かしてやろう」という発想はないのだという。だから作らない。作れないのではない。カマウさんのこういったケニア人論は理解しがたいのだが、実際、学校で働く大工のアルフォースは、学校の子供たち以外がこうした遊具で遊ぶことをひどく嫌っている。教師のベロニカも同じだという。子供たちが心の底から笑って遊ぶ光景を苦々しく思う神経が、オレにはわからない。日本に帰ってから、アフリカ人の心情を本などで調べてみようと思う。

オレは日本人の感覚だから、遊具で遊ぶ子供たちの笑顔が大好きだ。見ていて、本当に嬉しくなってくる。見ているうちに、ブランコに乗る子供たちの背中を押すうちに、この校庭に滑り台があればなぁと思うようになった。自分の作品を作りたい。テツさんやカマウさんと相談し、作ろうということになった。オレは時間の制約があるから、展望台までを完成させる予定で、オレの帰国後に滑り台が展望台にかけられる。子供たちのはしゃぐ姿が目に浮かぶ。

サイカからシランガを臨む。地区内に鉄塔はいくつもあるが電力の供給はない
サイカからシランガを臨む。地区内に鉄塔はいくつもあるが電力の供給はない

学校はシランガ(Siranga)と呼ばれるスラム地区にある。人口は3000人程度だ。川などを挟み人口5000人程度のマイリサバ(Mailisaba)、人口2000人程度のムエンゲーニャ(Mwengenya)が隣接する。この3地区の総称がマイリサバ(Mailisaba)で、10000近くの人々が住むと言われる。そしてその10000人の7-8割が子どもだというのがカマウさんの話だ。女性は14歳程度で子供を産み始め、その後6人位の子供を産むのが平均だという。子供が生まれると男は姿を消すので、たいていが母子家庭となる。兄弟それぞれの父親が違うというケースは一般で、同じ父親であることの方が珍しくなるくらいだ。経済力が乏しい母親一人、あるいは母親とその母親で子どもの面倒を見るため、生活は困窮を極める。「生活能力もないのだから、子どもを産まなければいいのに」と我々は考えがちだが、子供を産むことで生活が楽になると彼らは考える。子供が母親の手助けをし、稼ぐようにもなるからだ。苦しい生活も産んだ方が「少しはマシ」となる。

こうして幼くして子供は労働力となる。5歳くらいの子供が赤ん坊を負ぶってあやしている。畑仕事も洗濯もする。街に出て行って、ストリートチルドレンとしてお金を稼いで来る少年もいる。ひどい場合には売春組織に売り渡され虐待される子供もいよう。労働力とされた子供には教育を受ける機会がなくなる。教育を受けないから、将来自分の子供に同じことを強要する。「この悪循環が続く限りケニアの発展はない」とカマウさんは嘆く。「ケニアに一番必要なのは、大人も子供も教育なんだよね。」27年間、そのことに取り組んでいるカマウさんは言った。
2002年に立ち上がった新政府は教育の無料化という政策を打ち出し、教職員の給料は国が負担するようになった。これによって子供たちは月謝を払わずとも学校に通えるようになっている。ケニア政府も教育の重要性を意識し始めたのである。ただカマウさんはまだ「手ぬるい」と批判する。「制服や教科書を持っていないと学校に通えないんですよ!校則違反だと、家に追い返されるんです。」つまり教科書や制服を買う余裕のない家庭の子供は、事実上、学校に通うことが出来ない。「これは教育ではない」とカマウさんは憤り、教育大臣に直接掛け合ったという。「どんな貧しい家庭の子供にも平等に教育を受けさせなくては、おかしいですよね」と話しながら、淋しそうにカマウさんは笑った。

川で洗濯をしていた子供にカメラを向けるとポーズを取ってくれた。右側の少年の顔に付いているのは洗剤
川で洗濯をしていた子供にカメラを向けるとポーズを取ってくれた。
左側の少年の顔に付いているのは洗剤

「アフリカに日本の原風景を見た!」であるとか「アフリカ人の心は日本人よりずっと豊かだと思った」、「本当の意味の豊かさを持ったアフリカ人」などとジャーナリストや観光客が定型文のように書くことがある。実にキレイで透き通った言葉だ。日本の受験戦争や競争社会の弊害を憂えての発言であろうが、彼らは本当にアフリカの貧困の実情を見ているのか?カマウさんに聞いてみたが、やはり首を横に振る。カマウさんはその論調に怒りを覚えることもあるという。「彼らは何も分かっていない。それどころかああいった発言は貧困が招く悲惨さを日本人の目から覆い隠してしまう」と危険性を指摘する。一面的だというのだ。美しい自然はある。美しい心を持った人も多い。子供の笑顔は最高だ。ただ同時に存在する貧困を伝えていない。貧困はそれらをいつも蝕むように襲っている。蝕み襲われた心は「自然の豊かさ」も「子供の笑顔」も「他者の心」も意識する余裕を持たせない。

無関心な先進国の人々の目を後進国に向けさせ、彼らが自立できるような教育制度を拡充させる援助をすべきだと強く思う。あと1時間で年が明ける。ケニアにも新年がやってくる。

家の前に出てきた幼い姉妹
家の前に出てきた幼い姉妹

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