ウガンダのちいさな学校 ニュートピア

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【耐乏生活】−という事 〈2011年 11月14日〉
「 NEWTOPIA, ウガンダの片田舎にある小さな学校・孤児院! 」
「 水も電気も無い、豊かな自然の中の野鳥天国! 」

そんなキャッチフレーズで長年やってきたが、2年前学校から400mはなれたタンザニアとの国境へ向かう幹線道路沿いに電線が敷設された。その時さんざ悩んだ末、賄賂を払ってまでして、学校まで電線を引き込んでもらった。(ちなみに、うちの学校に通っている子供の家で電気のある家は1軒も無い。)

それ以来、週に数日停電することはあるが、電球の明かりの下勉強することができた。停電でランプの周りに集まって勉強をしているとき、突然電気が帰ってきてパッと急に明るくなったときの「ワァー!」という子供たちの歓声はすごい!

今年6月、携帯電話のネットワークを使ってのインターネット利用ができるようになってからは、片道30分以上かけて近くの町まで行かずとも、学校で居ながらにしてEmailを見れるようになったし、毎週日曜日にはみんなで子供向けの映画を楽しむことができた。田舎の学校がいっぺんに別世界に移ったかのように画期的なことだった。

ところが、PCの使用頻度が日増しに増え、電気を使っている時間が飛躍的に増大してきた。結果、当然のことながら電気代が大きく跳ね上がった。折から、資金難でこの学校の来年以降の存続が厳しくなって来ている時でもあり、思い切って電気無しのシンプルライフに戻してみよう―という事にした。学校に4つしかない灯油ランプをフル動員しても、夕食後の勉強時間は明るさが十分でなく、直ぐ目が痛くなる。もちろんパソコンは使えない。近くの電気のある集落にパソコン・携帯電話を持って充電に行くのだが、毎日!と言うのも時間と金がかかる点で難しい。もう1つの困難は、治安の面で、それまで常夜灯を2つつけていたのが無くなり、月光のないときは夜中にトイレに行くのも不自由で、不安が残る。

ここウガンダでは英国からの独立以来20年余も続いた血で血を洗う暗黒政治を、1986年1月にゲリラ闘争で終止符を打ったかに見えた現ムセビニ大統領だが、その権力の座に25年も座り続けると、どうしても腐敗が避けられないのだろうか。 近年のウガンダの政治の腐敗振りと、経済政策の無能さには驚かされる。今年に入ってこの国の経済の悪化振りが国際機関から世界最悪!と言われた。自国に石油をはじめ天然資源が乏しく、工業生産力の低いウガンダではどうしても輸入に大きく頼らざるを得ない。しかも内陸国で隣国ケニアのインド洋岸の港から首都カンパラまで1200kmもある。

この1年、その通貨であるウガンダシリングが対円で見ても1円25シルからなんと35シルにまで下落している。当然それは全ての物価に反映され、生活必需品の価格が今年に入ってからでも、優に30〜50%以上の高騰をきたしている。1例を挙げれば、砂糖1kgが3,000シルから2.7倍の8,000シル(230円)に!主食になるトウモロコシの粉が50kg26,000シルが2.2倍の58,000シルに。牛肉1kgが4,000シルが6,000シルに。食パン1kgが2,400シルから3,500シル(100円に)。ガソリン1リットルは2,400シルから3,900シル(110円)に。ちなみに我が校の先生・作業員の給料は、150,000シル(4300円)と80,000シル(2300円)。日本の物価と比べてみて、給料は50分の1以下! だのに諸物価は日本より少し安いだけ!!!

ニュートピアでは、子供の食糧費確保のため今年に入って多くのものの使用をSTOPしてきた。まず一番の衝撃的節約は、主食のトウモロコシ粉が買えず、半額以下と遥かに安いキャッサバの粉を混ぜてごまかしてきたこと。これには食事を拒否するスタッフも出てきたほど。牛肉、マーガリン、蚊取り線香の使用もとっくに止めている。子供たちの着る服・通学靴も十分補充できないまま。ここ二ヶ月は毎日の必需品である砂糖まで止めざるを得なくなっている。

そして、その上の電気STOP処置だ。( 私事で大変恐縮だが、私は団塊の世代の後、戦後まだ日本が十分に復興できていない頃に生まれ、小学校へ行く前に駅頭に傷痍軍人の人たちが白い着物を着て募金をしていたのを覚えている。10歳の頃、毎晩遅くまで内職に精を出す母の姿を見るのがつらく、少しの小遣いを稼ぐ為早朝の牛乳配達をして凍える手で牛乳ビンを落として割ってしまった思い出。ある日学校に払う給食費が家になくて、自分の貯金箱を叩き壊してなけなしの金を学校に持って行ったこともあった。13歳のとき、暗い雰囲気の家に居るのが嫌で家出をし、警察につかまるまで100余日年齢を偽って木工所に住み込んで働いていた。その後家に帰り、当然のように新聞配達をはじめ、やがて保育所そして市役所に勤めるようになっても10年間も飽きもせず配達を続けた。その時培った体力・忍耐力は後年、AFRICAで仕事をする様になってずいぶん役立ったように思う。)

アフリカに来て、早30年が経った。世間で言えばとてつもなく長い時間なのかもしれない。自分でも信じられないし、いったいこの年月何をして来たんだろうといつも思う。別に自分ではさほど辛い事と思っているわけではないが、ナイロビのスラムで孤児院をやっていた時は例外として、この20年ほど年々自分の生活レベルが衣・食・住のすべてにわたり少しづつ確実に低下し続けているようだ。

先月、数ヶ月にわたり我慢を続けてきた3本の虫歯が痛んでどうしようもなくなり、已む無く(近くの大きな町ではただ抜歯するだけで、この2年で6本も歯を抜かれている)首都カンパラの高級歯医者に行って来た。 でもあまりの治療費の高さに(なんと先生の給料の数か月分)、1本だけの応急処置にして逃げ帰ってきた。年内に又抜くことになりそうだ。

来年で、現在日本の口座にあるニュートピア資金の残高が確実に払拭する。(今日現在、残高68万円。)既に、現在の小学2,3年生は来年は他所の学校に行って貰うことが決まっている。(本来なら来年1月から、1年から4年生までになるところだが、先生の給料と食料費をどうしても節減せざるを得ず、1年と2年生だけとする。) 今12月1日から始まる、学期末試験の準備におおわらわの日々ではあるが、これがこの子達のNEWTOPIAでの最後の試験になるのか、、。せっかくここまで育ててきたのに、、、他所に行くと元の木阿弥になるのでは、、、と悲しくなる。

この子達、ここ数年日本からの多くのご支援・ボランティアの方たちの愛情を受け、今日までやって来れたのに、、。 大変に申し訳なく、そして 無念の思いである。

荒野の一軒家・NEWTOPIAを煌々と照らす 満月の下で
総責任  OSSAN カユチ カマウ   合掌三拝

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