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対岸の火事   〈2010年 2月10日〉
川向こうの火事。転じて、自分にはまったく関係のない出来事で、少しも痛痒を感じない 物事のたとえ。 (広辞苑)

矢張りAFRICA は日本からあまりに遠い。地理的にも、そして何よりもその人々の文化、思考、道徳、さらに生活慣習・ペースの違いは、「同じ地球上に生きる人間だから」と簡単に括ってしまえない大きな違いとギャップを感じざるを得ない。

かつて長くKENYAに住んでいた時、友人・旅人とよく話ししていた話題に、「ケニアは住み良いか?」ということ。私の応える比喩は、

  • 1週間の滞在=気候は良いし、食べ物は新鮮、人々は親切だし最高!
  • 1ヶ月経つと=盗難は多いし警察は腐ってる、人々は約束・時間を守らないし、ただ貪欲!
  • 半年も居着けば=やっぱり自然は豊か、物価は安いし、のんびり暮らしは快適!
  • 数年し仕事を始めれば=人びとは公徳心・向上心がまるで無く、横着・怠惰。こんな国発展しないよ!
  • もし10年も我慢すれば=まあイイか、人も国もまだまだ未開発だけどアクセクせず百年後に希望を見出していこうか!
川向こうといっても、1年前出稼ぎに日本に行って住んでいた東京・五反田の目黒川。 春になると対岸の桜の花びらがこちら側にも舞い散り、川を挟んで話すら出来た川幅。 でも向こう岸が霞んで見えない長江やわがナイル川となるとたとえ向こう岸が大火事でも 此方に飛び火することの心配はまずない。さぞあちらでは大変だろうなと同情はしても、 此方は此方でいつもどうりの生活が続く。

もう1年も前から、世界中で食糧危機が叫ばれ、物価の高騰が人々の毎日の生活を圧迫し続けている。それらのNEWSを読み、聞き、映像で見せられてもそれは他所の世界のこと。日本の飽食の生活はいつもどおり、ほとんどなんの影響も無く続けられていることだろう。

つい先月も、KENYAのキバキ大統領が国際社会に対し「このままで行けば国民の4分の一(1千万人)が飢饉に直面する」と、アッピールしていた。 我がUGANDAでもこの1年で食糧費が80〜150%も高騰した。一般大衆の(貧困)家庭では、稼いだ分だけ日々使っていく“その日暮し”!なので、貯蓄など考えたことも無く、あるいは考えようも無く、ここに来て生活の困窮ぶりはどうしようもない状態だ。

わがNEWTOPIAでも、モチロン!例外であるはずがなくこの1年必死で月々の出費を切り詰めれるだけ切り詰めてきました。ややもすれば、子どもの成長のことより毎日いかに節約するか? 倹約し1日でも長くこの学校を存続させることーーが自分の最大事の仕事!のような錯覚にも陥りそうでした。

毎朝5時半に起き体操・ランニング、6時から朝食前の畑仕事。サツマイモ、豆類、トウモロコシ、キャッサバ芋。それにウガンダ特有の主食用バナナ・マトケ。トマト、ピーマン、南京、キャベツ、ほうれん草などの野菜類も。ニワトリ、ヤギ、ブタ、ウサギも収入源の1つとするため飼育しています。

(以下2010年)
我がホームの主食であるトウモロコシ粉を熱湯で捏ねたカウンガ(ウガリ)も、何処の家庭でも使うファースト・グレード、グレード1.5のトウモロコシ粉は高く、1番安いグレード3と混ぜて使ってましたが、昨年からはそれも儘ならずさらに安いキャッサバ粉を混ぜて使っています。他の場所でここまでしているところはないようで、食事時に来た訪問者を驚かせます。それでも朋子さんの長年の指導のおかげで、おかずの方は野菜豊富で味も栄養も申し分なしです。

去年8月にすったもんだの交渉の挙句(賄賂を強要されて)入った電気も、ボーイズ・ドミトリー、ガールズ・ドミトリー、スタッフ 部屋、ボランティア部屋には引きましたが、キッチン、私の寝室には引かず、徹底節電のおかげで今のところ月の電気代は500円ぐらい。たまに雨が降れば、大きな男の子たちと全身びしょ濡れになりながら必死でポリタンク、バケツ、洗面器、ペットボトルにまでも可能な限り多くの水を備蓄します。以前大阪から中学校の先生がNEWTOPIAにみえて、そのときの印象を広報誌に書かれてました。 「1度ホームの先生にトイレットパーパーをお借りした。新しいのを出して来て下さったようで、トイレ終わってロールを返したら、『ロールの包装紙は?』と聞かれ、『アッ捨ててはいけなかったんだ!』。ここの子ども達は木の葉っぱか使い古しの帳面でお尻を拭くのですね。紙は大変貴重で、捨てていい紙など無いんですね!」

常日頃考えることに,『飽食の日本でAFRICAのことに〔興味〕を持ってくれる人は百人に一人もいるでしょうか?そのうち本を読んだり話を聞いたり、実際訪問したりしてAFRICAの多くの問題点を〔理解〕する人は万分の一?さらにAFRICAの苦しみ、苦悩を〔共感〕出来る人となると百万分の一でしょうか?ましてそれらを〔共有〕!?するとなると1億分の何人でしょうか、、、? 』

仏教説話に、「貧女の一灯」という話しがある。ある村を釈迦が訪れたとき、多くの人が灯明を供養した。そのとき突風が吹き数千の灯は皆消えてしまった。たった一つ、貧しい娘が自分の長い髪を切り購った油の灯を除き。

これは極めて有難い!まれな例だとは思いますが、以前寒い冬の季節に通勤時、駅まで毎日使っていたバスの利用をやめ30分の道のりを歩いて、往復420円節約しそれを貯めてAFRICAに送ってくれていた人がいる。そのお金で購った食糧は、よっぽど子ども達に栄養をつけてくれたに違いない。

2007年11月、私の日本最後の出稼ぎが終わった日の夜、東京在の6,7人の友人たちが送別会を開いてくれるということで、私は慣れないインターネットで調べ皆が集まってくれる。渋谷駅近くで1番安そうなファミレスを探しました。1人千円もあれば2,3時間粘れそうなところがありました。ところが、いざハチ公前に集まってみると私の願いは聞き入れられず、とある居酒屋の個室に案内されました。雰囲気も良く料理も美味しい店で、私がそれまでの5ヶ月間一日三食500円以下で暮らしてきたのを知ってか知らずか、真心の豪勢な送別の宴にして頂きました。五反田のドミトリー(3段ベッド18人部屋、月3万円)に帰る道すがら、「みんなに散財させてしもたなあー。あの経費のたとえ3分の1でもUGANDAへまわせたら、うちの子ども達50人の1か月分の食費が浮いたのになあー」と、悲しく後悔せざるを得なかった。(一番多く飲み食いし楽しんだのが自分であるのを棚に上げ)。

大変失礼な物言いになるのを承知で言わせていただくと、援助というのは、生活に余裕のある人が貧しく、哀れな人に対して施しを与えると言う事だけでいいのでしょうか?

直接には当てはまらないだろうけど、気になる文章が灰谷健次郎の『我利馬の船出』の中にあります。

『- - 人に寄せる思いが自己陶酔に終わったり、自らをなぐさめるためにあるなどとは許されることでない。ほんとうの友情とは、おのれのいのちと、それにつながる他の命を結びつけることであり、いったん結び合ったいのちはたがいに睦み合い、鍛え合って生死を共にしなければならないのだ。 ーー』

1981年3月にAFRICA大陸の東岸に流れ着いて、やがて30年にもなろうとする今、「何とか希望を見出そうと、愚拙ながら自分なりに色々努力したけど、結局 “徒労”! で終わることになるのか。」最後の時まで、前向きに生き続けたいと思うが、昨今の自身の非力感・挫折感は覆い様も無い。

       断水・停電の 曇天の日、  マサカ市の長屋にて  OSSAN カユチ

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